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よあけまえ

夜明け前

島崎 藤村

04 第二部下

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 105,172 字 · 206 页

青空文庫

彼は岸から父に声をかけて見ると、その婦人こそ彼を生んだ実の母お袖と聞かされて驚く。その時は彼も一生懸命に母を呼ぼうとしたが、あいにく声が咽喉のところへ干からびついたようになって、どうしてもその「お母さん」が出て来ない。はるかに川上から橋の下の方へ渦巻き流れて来る薄濁りのした水の勢いは矢のような早さで、見るまに舟も遠ざかって行く。思わず彼は自分で自分の揚げたうなり声にびっくりして、目をさました。

こんなに父母が夢にはいったのは、半蔵としてはめずらしいことだった。半年の旅の末にはこんな夢を見ることもあるものか。そう彼は考えて、まだ寝床からはい出すべき時でもない早暁の枕の上で残った夢のこころもちに浸っていた。いつでも寝返りの一つも打つと、からだを動かすたびにそんなこころもちの消えて行くのは彼の癖であったが、その明けがたにかぎって、何がなしに恐ろしかった夢の筋から、父母の面影までが、はっきりと彼の胸に残った。これまで彼が亡き父を夢に見た覚えは、ただの一度しかない。青山の家に伝わる馬籠本陣、問屋、庄屋の三役がしきりに廃止になった後、父吉左衛門の百か日を迎えたころに見たのがその夢の記憶だ。