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よあけまえ
夜明け前
島崎 藤村
01 第一部上
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 205,629 字 · 408 页
馬籠の伏見屋から駕籠で迎いが来るたびに、寛斎は薬箱をさげて、美濃と信濃の国境にあたる十曲峠をよく急いだものだ。筆まめな金兵衛はあの子が生前に寛斎の世話になった礼から始めて、どうかして助けられるものならの願いから、あらゆる加持祈祷を試み、わざわざ多賀の大社まで代参のものをやって病気全快を祈らせたことや、あるいは金毘羅大権現へ祈願のために落合の大橋から神酒一樽を流させたことまで、口説くように書いてよこした。病気の手当ては言うまでもなく、寛斎留守中は大垣の医者を頼み、おりから木曾路を通行する若州の典医、水戸姫君の典医にまですがって診察を受けさせたことも書いてよこした。とうとう養生もかなわなかったという金兵衛の残念がる様子が目に見えるように、その手紙の中にあらわれている。
平素懇意にする金兵衛が六十三歳でこの打撃を受けたということは、寛斎にとって他事とも思われない。今一通の手紙は旧いなじみのある老人から来た。それにはまた、筆に力もなく、言葉も短く、ことのほかに老い衰えたことを訴えて、生きているというばかりのような心細いことが書いてある。ただ、昔を思うたびに人恋しい、もはや生前に面会することもあるまいかと書いてある。