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たじゅうとそのいぬ
太十と其犬
長塚 節
「ホトトギス」1910(明治43)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 15,769 字 · 32 页
太十は犬殺しの噺をした。対手の心裏にふとそれを殺してやろうという念慮が湧いた。其肉を食おうと思ったのである。赤犬の肉は佳味いといわれて居る。それも他人の犬であったらそういう念慮も起らなかったであろうが、衷心非常な苦悩を有して居れば居る程太十の態度が可笑しいので罪のない悪い料簡がどうかすると人々の心に萠すのであった。
「殺しちまあ」
太十がいった其声は顫えて居た。犬の身に起った不幸な出来事は薄弱な太十の心を掻き乱して畢った。彼は殺すと口には断言した。然し彼の意識しない愛惜と不安とが対手に愁訴するように其声を顫わせた。殺すなといえばすぐ心が落ち付いて唯其犬が不便になったのである。然し対手は太十の心には無頓着である。
「おっつあん殺すのか」
斯ういう不謹慎ないいようは余計に太十を惑わした。
「そうよな」
と太十は首をかしげた。
「どうせ駄目だから殺しっちまあべ」
威勢よくいった。そうかと思うと暫らく沈黙に耽って居る。
「殺した方あよかんべな」
投げ出したように低い声でいった。其処には対手に縋って留めてくれという意味もあった。だが殺すなという声は太十の耳に響かなかった。