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ちぎりきぬ
契りきぬ
山本 周五郎
「ロマンス」ロマンス社、1949(昭和24)年10月~11月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 32,757 字 · 66 页
――濃い霧が巻いているので、近づくまでわからなかったが、姿が見えたときかれらが武家であるのを知り、はっとして脇へそむいて、足ばやにすれちがった。……そのときかれらのなかで、あっという声をあげた者がある。おなつは慥かにそれを聞いたように思って、立停ってこちらを見るようなけはいを感じた。
――知っている人ではないだろうか。
そう思うと不安で、五六日は気持がおちつかなかった。
しかしそれからべつに変ったこともなく忙しい時期も無事過ぎて、しだいに客足も少くなり、やがて川上の山々に雪が降りはじめた。……十月の末に三日ばかり雨が続き、それがあがったと思うと猿山にも雪が来た。ここではたいして積るようなことはない、ちょうど冬の梅雨といったぐあいで、宵のうちとか、午前とか午後とか、ひとしきり降るとまもなく晴れる。近在の人たちはそれを『猿山のきちがい雪』というそうであるが、――その雪が来はじめて十一月にはいり、四日の日の午後になってとつぜん北原精之助が訪ねて来た。
おなつはそのとき離れの縁側で、鷹二郎を抱いて乳をのませていた。そこは本屋のうしろの少し高くなった丘の中腹で、南の日をいっぱいにうけ、坐っていてもぼっとするくらい暖かかった。