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しょうしょうしげもとのはは

少将滋幹の母

谷崎 潤一郎

「毎日新聞」毎日新聞社、1949(昭和24)年11月16日~1950(昭和25)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 83,234 字 · 160 页

青空文庫

ございますねと云いながら、文字をきれいに拭いてくれたのも、どうやら彼女であったような気がするのである。

腕へ文字を書かれたのはその時一遍だけであったか、それからも一二遍そんなことがあったか、そこのところはおぼろげであるが、その後も西の対へ行くと、平中がうろ/\していて、彼を呼びとめて文を托したことはあった。滋幹がそれを持って行くと、母は返事を書いたこともあり、書かなかったこともあったが、だん/\最初の時のような感動を示さないようになり、厭わしいと云う顔つきをすることもあったので、しまいには彼は平中に使を頼まれるのを迷惑に感じた。そして平中も、いつか姿を見せなくなったのであるが、間もなく滋幹も母に会うことが出来ないようになった。それは乳人が母の館へ連れて行くことを控えるようになったからで、母に会いたいと滋幹が云うと、お母さまはもう直き赤ちゃんがお生れになるので、今は引き籠っていらっしゃるのです、と云ったりした。その頃母はほんとうに妊娠したのであったらしいが、滋幹の出入りすることが禁ぜられたのは、外にも故障が起ったらしいのであった。

こんな風にして滋幹は、それきり母の姿を見ることがなかった。