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しょうしょうしげもとのはは
少将滋幹の母
谷崎 潤一郎
「毎日新聞」毎日新聞社、1949(昭和24)年11月16日~1950(昭和25)年2月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 83,234 字 · 160 页
かの讃岐と云う老女は、後に北の方の許へ走って本院の女房になったことまでは分っているが、それきり日記に現れて来ない。又滋幹の腹ちがいの兄弟たちや、彼等の母に当る人々のことは、何の交渉もなかったのであろうか、此の日記の全篇を通じて何処にも消息は伝えられていない。しかし滋幹は、自分の胤ちがいの弟に当る中納言敦忠に対しては、餘所ながら深い親愛の情を寄せていた。彼と敦忠とは門地や官位が違う上に、父同士の間に夫人のことでいきさつがあったことが妨げになって、何となく双方に遠慮があり、互に餘り接近することを避けていたらしいのであるが、にも拘らず滋幹は、ひそかに敦忠の人柄に好感を抱き、蔭ながらその人の幸福を祈りつゝ、常にその行動を見守っていたのであった。それと云うのも、畢竟敦忠が母親似であったからで、中納言を見ると、遠い昔に会った母の風貌を想い起してなつかしさに堪えないと、滋幹は幾度か記しているのである。そして、自分の容貌が不幸にして母に似ず、父に似ていることを歎き、母が逃げ去ってからの父が、母を恋しがるばかりで自分を可愛がってくれなかったのは、自分の顔が母親似でなかったからであろう、と云い、敦忠が時平の死後も母と一緒に暮らしているのを羨み、母はあのめでたい男ぶりの敦忠をさぞいつくしんでいるであろうが、自分のような醜い顔