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しょうしょうしげもとのはは

少将滋幹の母

谷崎 潤一郎

「毎日新聞」毎日新聞社、1949(昭和24)年11月16日~1950(昭和25)年2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 83,234 字 · 160 页

青空文庫

ところで、平中が数ある女たちの中で、一番うつゝを抜かして恋いこがれ、おまけに散々な目に遭わされて、最後には命までも落すようなことになった相手は、侍従の君、―――世に謂う本院の侍従であった。

此の婦人は、左大臣藤原時平の邸に宮仕えしていた女房であるが、時平のことを本院の左大臣と呼ぶところから、此の女のことを本院の侍従と呼ぶ。その頃平中の官はわずかに兵衛佐であった。彼は血統や家柄はよかったけれども、官職は低かったのであった。それに何分なまけ者で、「宮仕へをば苦しき事にして、たゞ逍遥をのみして」と日記にあるから、要するに役所勤めなんか嫌いで、のらりくらりしていたのであろう。帝はそれをお憎みになって、懲らしめのために一時免官せしめられたことなどもあった。尤も一説に、彼が免官になったのは、彼よりも官職の上の或る男が彼と女を争ったところ、女がその男を嫌って平中の方へ靡いたので、恋の競争に破れた男が平中を恨み、彼のことを何や彼やと朝廷に讒言したからであるとも云う。古今集巻十八雑の下所載「憂き世にはかどさせりとも見えなくになどか我が身の出でがてにする」と云う歌は、「つかさの解けて侍りける時よめる」