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あるおんな

或る女

有島 武郎

1(前編)

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 149,981 字 · 295 页

青空文庫

「おやそう。わたしのほうへはたびたびいらして困りますのよ」

と小声でささやいた。「何を生意気な」葉子は前後なしにこう心のうちに叫んだが一言も口には出さなかった。敵意――嫉妬ともいい代えられそうな――敵意がその瞬間からすっかり根を張った。その時夫人が振り返って葉子の顔を見たならば、思わず博士を楯に取って恐れながら身をかわさずにはいられなかったろう、――そんな場合には葉子はもとよりその瞬間に稲妻のようにすばしこく隔意のない顔を見せたには違いなかろうけれども。葉子は一言もいわずに黙礼したまま二人に別れて部屋に帰った。

室内はむっとするほど暑かった。葉子は嘔き気はもう感じてはいなかったが、胸もとが妙にしめつけられるように苦しいので、急いでボアをかいやって床の上に捨てたまま、投げるように長椅子に倒れかかった。

それは不思議だった。葉子の神経は時には自分でも持て余すほど鋭く働いて、だれも気のつかないにおいがたまらないほど気になったり、人の着ている着物の色合いが見ていられないほど不調和で不愉快であったり、周囲の人が腑抜けな木偶のように甲斐なく思われたり、静かに空を渡って行く雲の脚が瞑眩がするほどめまぐるしく見えたりして、我慢にもじっとしていられない事は絶えずあったけれども、その夜のように鋭く神経のとがって来た事は覚え