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あるおんな

或る女

有島 武郎

1(前編)

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 149,981 字 · 295 页

青空文庫

しかし青年をあわれむと同時に葉子の目は稲妻のように事務長の後ろ姿を斜めにかすめた。青年をあわれむ自分は事務長にあわれまれているのではないか。始終一歩ずつ上手を行くような事務長が一種の憎しみをもってながめやられた。かつて味わった事のないこの憎しみの心を葉子はどうする事もできなかった。

二人に別れて自分の船室に帰った葉子はほとんど delirium の状態にあった。眼睛は大きく開いたままで、盲目同様に部屋の中の物を見る事をしなかった。冷えきった手先はおどおどと両の袂をつかんだり離したりしていた。葉子は夢中でショールとボアとをかなぐり捨て、もどかしげに帯だけほどくと、髪も解かずに寝台の上に倒れかかって、横になったまま羽根枕を両手でひしと抱いて顔を伏せた。なぜと知らぬ涙がその時堰を切ったように流れ出した。そして涙はあとからあとからみなぎるようにシーツを湿しながら、充血した口びるは恐ろしい笑いをたたえてわなわなと震えていた。

一時間ほどそうしているうちに泣き疲れに疲れて、葉子はかけるものもかけずにそのまま深い眠りに陥って行った。けばけばしい電燈の光はその翌日の朝までこのなまめかしくもふしだらな葉子の丸寝姿を画いたように照らしていた。