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あるおんな
或る女
有島 武郎
1(前編)
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 149,981 字 · 295 页
部屋にはいると事務長は、田川夫人の言葉でも思い出したらしくめんどうくさそうに吐息一つして、帳簿を事務テーブルの上にほうりなげておいて、また戸から頭だけつき出して、「ボーイ」と大きな声で呼び立てた。そして戸をしめきると、始めてまともに葉子に向きなおった。そして腹をゆすり上げて続けさまに思い存分笑ってから、
「え」と大きな声で、半分は物でも尋ねるように、半分は「どうだい」といったような調子でいって、足を開いて akimbo をして突っ立ちながら、ちょいと無邪気に首をかしげて見せた。
そこにボーイが戸の後ろから顔だけ出した。
「シャンペンだ。船長の所にバーから持って来さしたのが、二三本残ってるよ。十の字三つぞ(大至急という軍隊用語)。……何がおかしいかい」
事務長は葉子のほうを向いたままこういったのであるが、実際その時ボーイは意味ありげににやにや薄笑いをしていた。
あまりに事もなげな倉地の様子を見ていると葉子は自分の心の切なさに比べて、男の心を恨めしいものに思わずにいられなくなった。けさの記憶のまだ生々しい部屋の中を見るにつけても、激しく嵩ぶって来る情熱が妙にこじれて、いても立ってもいられないもどかしさが苦しく胸に逼るのだった。