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あるおんな
或る女
有島 武郎
1(前編)
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 149,981 字 · 295 页
こんなくらいなら定子の所にでもいるほうがよほどましだった。こんな事のあるはずだったのをどうしてまた忘れていたものだろう。どこにいるのもいやだ。木部の家を出て、二度とは帰るまいと決心した時のような心持ちで、拾いかけた草履をたたきに戻そうとしたその途端に、
「ねえさんもういや……いや」
といいながら、身を震わしてやにわに胸に抱きついて来て、乳の間のくぼみに顔を埋めながら、成人のするような泣きじゃくりをして、
「もう行っちゃいやですというのに」
とからく言葉を続けたのは貞世だった。葉子は石のように立ちすくんでしまった。貞世は朝からふきげんになってだれのいう事も耳には入れずに、自分の帰るのばかりを待ちこがれていたに違いないのだ。葉子は機械的に貞世に引っぱられて階子段をのぼって行った。
階子段をのぼりきって見ると客間はしんとしていて、五十川女史の祈祷の声だけがおごそかに聞こえていた。葉子と貞世とは恋人のように抱き合いながら、アーメンという声の一座の人々からあげられるのを待って室にはいった。列座の人々はまだ殊勝らしく頭をうなだれている中に、正座近くすえられた古藤だけは昂然と目を見開いて、襖をあけて葉子がしとやかにはいって来るのを見まもっていた。