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しんさいゆうき

新西遊記

久生 十蘭

「別冊文藝春秋 第十九号新春小説集」1950(昭和25)年12月25日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 26,654 字 · 52 页

青空文庫

宇治黄檗山の山口智海という二十六歳の学侶が西蔵へ行って西蔵訳の大蔵経(一切経または蔵経、仏教の典籍一切を分類編纂したもの)をとって来ようと思いたち、五百三十円の餞別を懐ろに、明治卅年の六月廿五日、神戸を発って印度のカルカッタに向った。

日本の大乗仏教は支那から来たせいで、蔵経も梵語(古代印度語)の原典の漢訳であるのはやむをえないが、宋版、元版、明版、竜蔵版とかれこれ読みあわせてみると、随所に章句の異同や遺漏があって疏通をさまたげるところへ、天海版、黄檗版、卍蔵版などの新訳が入ってきたので、いっそう混雑がひどくなった。

漢訳大蔵の模稜は早くから問題になっていて、それから八年後、日露戦争当時、明治天皇が奉天の黄寺にあった年代不明の満訳大蔵と蒙古大蔵を買上げ、校合の資料として東京帝大へ下附されたようなことまであったが、仏教は印度教(波羅門教)の興隆で大打撃を受けたうえ、八世紀の末、回教が侵入してきてあらゆる寺塔と仏像経巻を焼き、僧侶と信徒をかたっぱしから虐殺するという大破壊を二世紀にわたって行なったため、仏教は印度では形骸もとどめず、梵語経論の写本の一部がセイロン島やビルマ地方に残っているだけだから、漢訳大蔵を正誤するなどは、望んでもできることではなかった。