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ファルスについて
日本文化私観 坂口安吾エッセイ選
坂口安吾『日本文化私観 坂口安吾エッセイ選』。同一底本的分册已合并为一书。收入:FARCE に就て、神童でなかったラムボオの詩、花田清輝論、スタンダアルの文体、大阪の反逆。
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 22,974 字 · 47 页
と言って、日本のファルスといえども、決して自由自在に延びきっていたわけではないが。
一体に、日本の滑稽文学では、落語なぞの影響で、駄洒落に堕した例が多い(尤も外国でも、愚劣な滑稽文学は概ねそうであるが)。いわゆる立派な、哲学的な根拠から割り出された洒落というものは、人間の聯想作用であるとか、又、高度の頭の働きを利用し、つまりは、意味を利用して逆に無意味を強めるもので、近世風な滑稽文学(日本では「狂言」が――)が皆この傾向をとっている。ところが、江戸時代の滑稽文学や、西洋の古典は、之とは別な方向をとり、人間的であるために、その洒落が駄洒落に堕して目も当てられぬ愚劣な例が多いのである(『八笑人』を摸して『七偏人』という愚作が後世出たが之なぞは駄洒落文学を知る上には最適の例であろう)。こういうことは、ファルスを人間的に取扱い、浮世の風を滲み込ませようとする時に、最も陥り易い短所であるが、しかし之も見様に由れば、技術の洗煉されないせいで、用い様に由っては、一見短所と見える斯様な方向にさえ尚開拓の余地はあるようである。私は時々落語をきいて感ずるのであるが、恐らく文学として読むに堪えないであろう愚劣なものが、立派な落語家に由って高座で表現されると、勝れた芸術として感銘させられる場合がある。