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にほんぶんかしかん

日本文化私観

坂口 安吾

「現代文学 第五巻第三号」1942(昭和17)年2月28日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 21,816 字 · 43 页

青空文庫

た。

節分の火にてらして読んだあの石この石。もとより、そのような感傷や感動が深いものである筈はなく、又、激しいものである筈もない。けれども、今も、ありありと覚えている。そうして、毎日竹藪に雪の降る日々、嵯峨や嵐山の寺々をめぐり、清滝の奥や小倉山の墓地の奥まで当もなく踏みめぐったが、天龍寺も大覚寺も何か空虚な冷めたさをむしろ不快に思ったばかりで、一向に記憶に残らぬ。

車折神社の真裏に嵐山劇場という名前だけは確かなものだが、ひどくうらぶれた小屋があった。劇場のまわりは畑で、家がポツポツ点在するばかり。劇場前の暮方の街道をカラの牛車に酔っ払った百姓がねむり、牛が勝手に歩いて通る。僕が京都へつき、隠岐の別宅を探して自動車の運転手と二人でキョロキョロ歩いていると、電柱に嵐山劇場のビラがブラ下り、猫遊軒猫八とあって、贋物だったら米五十俵進呈する、とある。勿論、贋の筈はない。東京の猫八は「江戸や」猫八だからである。

言うまでもなく、猫遊軒猫八を僕はさっそく見物に行った。面白かった。猫遊軒猫八は実に腕力の強そうな人相の悪い大男で、物真似ばかりでなく一切の芸を知らないのである。