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とけい
時計
宮本 百合子
「ペン」1937(昭和12)年2月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 3,956 字 · 8 页
クロックのところは混雑していて、人の目は多かった。
オペラをきいていると、一人の少年が私共のとなりの席へ来て、ここは空いていますかと訊いた。空いています。かけてもかまいませんか。いけない理由を私共はもたないのであるからおかけなさい、と云った。
その少年は、私が舞台を見ているオペラグラスが珍しいのであった。幕間に、それをかりて、ああ近い近い、とよろこび叫びながら平土間の聴衆を見下したり、わざわざ平土間へそれを持って下りて、バルコンの方を見上げたりしている。
いろんないきさつがあって、やがて閉場ると、その子供は、是非日本の写真が見たいから、ホテル迄送ってゆくということになった。
ホテルの部屋には連れの方がとまっていて、私はずっと遠方の下宿にいた。そこへその子と一寸よって、私はやがて電車で下宿へかえりかかった。夜十一時頃であったろうか。その混んだ電車の中で、その子に、私は自分の小さい茶皮のハンドバッグをかっぱらわれたのであった。
私は、ありがとうだの、今日は、だのという慇懃な挨拶の言葉はロシア語で云うことが出来たが、かっ払いだの、泥棒! と絶叫することなどは知らなかった。