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つきのまつやま
月の松山
山本 周五郎
「キング」大日本雄辯會講談社、1954(昭和29)年8月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 20,451 字 · 41 页
これは今年の正月下旬のことであるが、そのとき郡代と双方と三者のあいだに、「今後は境を越えない」という誓書を取交わした。俣野孫右衛門はうっかりそうしたらしい、孝也はあとで聞いてまずいと思った。地境を乱したのは坪田の責任で、こちらは被害者だからそんなものを出す理由がない。今後もし問題が起こったばあいに、相手がその誓書を悪用すれば、こちらにも非分があったことになりかねない。そこで孝也がいってその理由を述べ、誓書を取戻して来たのであった。
幸い主の与兵衛に会えたので、案外なくらい簡単に取戻せたが、側に二人の侍がいて、嘲弄がましいことを云った。例の松平家の家来で一人は大道寺九十郎、他の一人は日野数右衛門といい、日野はかつて茂庭の道場で学んだことがあった。素行がよくないために、半年ばかりで破門同様にされたのであるが、いまでもそれを根にもっているらしく、与兵衛と対談ちゅう、意地の悪い眼つきで眺めたり、嘲笑したり、また大道寺という男に向って、
――紙きれ一枚が役に立つと思うのかね。
などと高声に云ったりした。だがもちろん孝也は相手にならず、用件をはたして戻ったのであった。