轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

もくせいのはな

木犀の花

永井 荷風

「中央公論 第六十二年第十号」中央公論社、1947(昭和22)年10月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 3,799 字 · 8 页

青空文庫

わたくしが凡そ反感という心持の何であるかを知ったのも、或はこれがそもそもの始めであったのかも知れない。

校長更迭の行れてから一週日を出でずして、われわれは稽古着を買いととのえる事を命ぜられ、学課の終った後、毎日一時間ずつ、かの白袴を穿って来た若い弟子達から柔術をならわせられることになった。然しわたくしは一時休校した程の病気を幸、これを口実にして欠席届を出した。之に倣って他にも二三人体好く逃げた生徒もあった。その中の二人はわたくしが後年まで長く交を続けた井上と島田と云う少年、もう一人は平素優れて成績が好かったにも係らず、卒業間際に突然病死した森島正造と云う少年であった。

柔道が始ってから生徒の間にそれまで曽て聞かれた事のない男色の噂が言伝えられ、「賤の小田巻」と云う男色の伝奇などが読まれるようになった。わざわざ上野の図書館へ行って男色大鑑をよんで来たというものもあった。それよりも猶一層われわれを驚したのは今まで居た古い教師の大半が他校に転任し、いずれも嘉納先生の講道館と云う私塾に関係のある人々に替えられた事であった。其時代には世間に薩長藩閥の語がまだ盛に言伝えられていたので、わたくしは其例證を教育界にも見ることを得たような思をなした。