轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
もくせいのはな
木犀の花
永井 荷風
「中央公論 第六十二年第十号」中央公論社、1947(昭和22)年10月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 3,799 字 · 8 页
旧校長の高峰先生は会津の出身であったので、同郷の学者南摩先生の引退されたのも故ある事のように思いなされた。
中学校の教場が一ツ橋からお茶ノ水なる本校の構内に移されたのも、校長更迭後程もない時であった。一ツ橋の校舎は制帽に赤い総また白い総を下げた小学校の生徒の年々増加する為悉くその教室に当てられたのだ。わたくしの記憶に誤がなければ、お茶ノ水に、後年まで世の噂に残ったおこの殺しの凶変があったのも確かその頃であろう。
われわれの中学が本校の構内に移された当時、その運動場は二ヶ所に分れていた。一は河岸通の正門を入り、正面に本校の赤煉瓦建の高楼を仰ぎながら、左側へと奥深く行った処、他の一ヶ処は右側の坂道を登り、古びた練塀の彼方に聖廟の屋根を見るあたりで、木馬、鉄棒、棚などの設備がしてあって、その遥か後方の塀外は神田明神鳥居前の道路になるのである。聖廟の周囲から神田明神前の塀際には年経た椎の木に交って木犀の古樹が林をなしていた。これほど多く木犀の大木を仰見るところは、東京市中上野や芝の公園にもなかったであろう。惜しいかな、大正十二年の震災に孔子廟の建物と共に、木犀の林もまた焼き尽され、その跡の一部は駿河台に通ずる道路となり、二十年の後更にまた空襲の災に罹った。