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みらいのてんさい
未来の天才
豊島 与志雄
「人間 第三卷七月號」人間社出版部、1921(大正10)年7月1日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 18,630 字 · 38 页
珍しいというよりも、私の経験では初めてだった。見ているうちに、私は静かな静かな、そよとの物音もない静謐な境地に沈み込んだ。凡てがヴェールを被ったような、夢幻的な世界になった。私は室の中にじっとして居られなかった。
外に出ると、あたりは一面に濃い霧が立ち罩めていた。闇の中に、銀の点線が無数に入り乱れて、茫とした明るみを作っていた。その明るみの層が余りに密なので、一二間先はもう物の形がぼやけて、何にも見えなかった。灰白色の中に鈍銀の針を包み込んだ重々しい而も冷かな大気が、街燈のまわりに深い渦を拵えながら、何処へともなく流れ移っていた。歩いてると、自分の足音までが夢のようにぼかされて、まるで雲の中に昇ったような心地だった。意識にはっきり映るのは自分の上半身だけで、他は凡て模糊とした見えない世界に没してしまっていた。
夢遊病者の世界はこんなだかも知れない、と私はそんなことを考えながら、ぼんやり眼を見開いて、霧深い裏通りを歩き廻った。行けば行くほど、益々霧が深くなるようだった。一間四方ばかりだけが私の世界で、それが私の歩みに随ってついてきた。自分の世界を自分で運んでるのだという気がした。