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さくらのみのじゅくするとき

桜の実の熟する時

島崎 藤村

「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页

青空文庫

「お婆さん、伊勢崎町でしたね。僕はまだ横浜の方をよく知らないんです」

「なあに、お前さん、店の名前で沢山だよ。浜へ行って、伊勢崎屋と聞いてごらんなさい。誰だって知らないものは有りやしないよ」

お婆さんも大きく出た。

一度か二度山の手の居留地の方へ行く時に通過ぎたことのある横浜の停車場に着いた。捨吉が探した雑貨店はごちゃごちゃと人通りの多い、商家の旗や提灯なぞの眼につく繁華な町の中にあった。そこに「いせざきや」と仮名で書いた白い看板が出ていた。入口は二つあった。捨吉は先ず大勝の御店のものに逢った。長い廊下のような店の中には何程の種類の雑貨が客の眼を引くように置並べてあると言うことも出来なかった。そこここには立って買っている客もあった。その廊下の突当りにある帳場のところで捨吉はまた見知った顔に逢った。須永さんと言って、小父さんと同郷の頭の禿げた人だ。

「オオ、捨吉か」

小父さんは奥の方から出て来て、あだかも彼を待受けていたかのように、悦ばしそうに彼の顔を見た。

「米、捨吉が来たよ」

と小父さんは奥の方に居る姉さんをも呼んだ。

こうした変った場所に、新規な生活の中に、小父さんや姉さんを見つけることは捨吉に取ってもめずらしく嬉しかった。