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さくらのみのじゅくするとき
桜の実の熟する時
島崎 藤村
「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页
彼はそれを自分の上に感じたばかりでなく、帳場に坐っている須永さんの上にも感じた。あの旧士族上りで、小父さんの同郷で、年若な下女なぞに色目をくれるようなことは機敏でも商法一つしたことの無い須永さんは、東京の問屋から着く荷物と送り状との引合せにすら面喰ってしまい、その度に訳もなく小僧等を叱り付けたり、尊大に構えたりして、禿げた額と眼鏡との間から熱い汗を流していることを知って来た。次第に捨吉は大勝の連中をも、それらのさまざまな性質の青年をも知るように成って行った。若い番頭は名を周どんと言って、店の入口の腰掛に落合うところから、いろいろと捨吉に話しかけ、背の高いことや歯並の白く揃ったことをよく自慢にして、浮々と楽しい気分を誘うような青年ではあったが、それだけ他の年少の連中からは思われてもいないことを知るように成って行った。この周どんの毎朝髪を香わせる油は、あれはこの店から盗んだものだというようなことまで、日頃番頭と仲の悪い新どん吉どんの告げ口によって知るように成って行った。
しかし捨吉は小父さんの手伝いに来た。商法を覚える気はなくても、書生として何かの役に立ちたいと思った。