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さくらのみのじゅくするとき
桜の実の熟する時
島崎 藤村
「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页
バイロンが英国を去る時の詠歌の中に『誰か情婦又は正妻のかこちごとや空涙を真事として受くる愚を学ばむ』と言出でけむも、実に厭世家の心事を暴露せるものなるべし。同じ作家の『婦人に寄語す』と題する一篇を読まば、英国の如き両性の間柄厳格なる国に於いてすら、斯くの如き放言を吐きし詩家の胸奥を覗うに足るべきなり。嗚呼不幸なるは女性かな。厭世詩家の前に優美高尚を代表すると同時に、醜穢なる俗界の通弁となりてその嘲罵するところとなり、その冷遇するところとなり、終生涙を飲んで寝ての夢覚めての夢に郎を思い郎を恨んで、遂にその愁殺するところとなるぞうたてけれ。恋人の破綻して相別れたるは双方に永久の冬夜を賦与したるが如しとバイロンは自白せり」
読めば読むほど若い捨吉は青木が書いたものの中に籠る稀有な情熱に動かされた。田辺の留守宅では、捨吉は今までのような玄関番としても取扱われないように成った。仮令僅かでも食費を入れ始めた為に、留守を預るおばあさんから玄関の次の茶の間を貸し与えられた。その四畳半で彼はこの文章を読んだ。雑誌の主筆なる吉本さんに頼んで何時かはこの文章を書いた青木という人に逢いたいと思った。