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さくらのみのじゅくするとき

桜の実の熟する時

島崎 藤村

「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页

青空文庫

会堂の内でのこの小さな食事は楽しかった。捨吉は執事らしい人から銀のコップを受取って、一口飲んだやつを隣の人に渡すと、隣の人はゴクゴクと音をさせて、さも甘そうにそのコップから飲んだ。

こうした静かな天井の下で、極りのような集金の声を聞くほど夢を破られる心持を起させるものは無かった。集りの終る頃には、捨吉は人よりも先に会堂の前の石段を下りた。十字架を高く置いた屋根の見える町の外へ出て、日に日に濃くなって行く青葉の息を呼吸した。

「岸本さん、お寄りになりませんか」

と言って声を掛けた人があった。会堂から出て来た吉本さんの雑誌社の連中の一人だ。説教を聴き聖餐を共にした男女の信徒は思い思いに町を帰って行く時だった。

捨吉を誘った人は榊と言って、一二度田辺の家の方へ手紙を寄してくれたこともあった。牛込の下宿を経営する市会議員夫婦と言い、この榊と言い、吉本さん贔顧の人達がいろいろな方面に多いことは捨吉にも想像がついた。榊はまた子分が親分に対するような濃厚な心をもってあの先輩に信頼していた。連立って話し話し雑誌社まで歩いて行くうちにも、捨吉は全く自分と生立ちを異にしているようなこの榊から吉本さんの周囲にあるいろいろな人のことを聞知ることが出来た。