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さくらのみのじゅくするとき
桜の実の熟する時
島崎 藤村
「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页
それを主人は種々なことで教えて見せていた。
細君が床揚げの祝いの日には、主人も早く起きて東の空に登る太陽を拝んだ。竈河岸の名高い菓子屋へ注文した強飯が午前のうちに届いた。「行徳!」と呼ばって入って来て勝手口へ荷をおろす出入の魚屋の声も、井戸端で壮んに魚の水をかえる音も、平素に勝って勇ましく聞えた。奥座敷の神棚の下には大勝始め諸方からの祝いの品々が水引の掛ったままで積重ねてあった。
強飯を配るために捨吉は諸方へと飛んで歩いた。勝手に続いて長火鉢の置いてあるところで、お婆さんが房州出の女中を指図しながら急しそうに立働いた。菓子屋から運んで来た高い黒塗の器の前には細君まで来て坐って、強飯をつめる手伝いをしようとした。
「米、何だねえ。お前がそんなことをしなくっても可いよ」
とお婆さんは叱るように言って見せて、大きな重箱を細君の手から引取った。南天の実の模様のついた胡摩塩の包紙、重たい縮緬の袱紗、それをお婆さんの詰めてくれた重箱の上に載せ、風呂敷包にして、復た捨吉は河岸の樽屋まで配りに行って来た。
その日は捨吉の兄も大川端の下宿の方から呼ばれて来た。宿は近し、それに大勝の大将は田辺の主人の旦那でもあればこの民助兄に取っての旦那でもあって、そんな関係からよく訪ねて来る。