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さくらのみのじゅくするとき

桜の実の熟する時

島崎 藤村

「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页

青空文庫

と母親に言われて、弘は自分の膳を捨吉の隣へ持って来る。捨吉もかしこまりながら好きな強飯を頂戴した。

食事が終って楽しげな雑談が始まる頃には、そろそろ主人の仮白などが出る。芝居の方に関係し始めてから、それが一つの癖のように成っている。主人のは成田屋張で、どうかすると仮白を真似た後で、「成田屋」という声を自分で掛けた。それが出る時は主人の機嫌の好い時であった。

「弘、何か一つ遣れ」

主人は意気の昂った面持で子息にも仮白を催促した。

「お止しなさいよ」と細君は手にした団扇で夫を制する真似して、「父さんのように仮白ばかり仕込んで、困っちまうじゃ有りませんか。今に弘はお芝居の方の人にでも成って了いますよ」

「これがまた巧いんだからねえ」と主人は子息の自慢を民助に聞かせた。

「民助さん、貴方の前ですが」とお婆さんも引取って、「どうもあたしはこの児のあんまり記憶の好いのが心配で成りません。米もそう言って心配してるんです。まあ百人一首なぞを教えましょう、すると二度か三度も教えるともうその歌を暗で覚えてしまいます……貴方の前ですが、恐しいほど記憶の好い児なんですよ……」