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さくらのみのじゅくするとき

桜の実の熟する時

島崎 藤村

「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页

青空文庫

界の先輩から宗教的な気分を引出された。その影響はややもすればこの世をはかなみ避けようとするような、隠遁的な気分をさえ引出された。その影響は又、小父さんなぞの汗を流して奮闘している世界に対して妙に自分を力のないものとしたばかりでなく、世間に迂いということが恥辱ではなくて反って手柄かなんぞのようにさえ思わせた。こうした力なさは時とすると負惜みに近いような悲しい心持をさえ捨吉に味わせた。小父さんの知っている人で莫迦に元気の好い客なぞが来て高い声で笑ったり、好き勝手に振舞ったり、駄洒落を混ぜた商売上の話をしたりすると、小父さんなぞから見るとずっと難有味のない人だと思うにも関わらず、そういう大人の肥満した大きな体格に、充実した精力に、まだ年の若い捨吉は圧倒されるような恐しいもののあることを感じた。実際、捨吉は昔の漢学先生の額の掛った三畳ばかりの玄関を勉強部屋とも寝間ともして、自分のすることを大人に見られるのも恥じるような、青年らしい暗い世界に居た。

玉木さん夫婦が来て同じ屋根の下に住むように成ったことは――例えば基督信徒と言ってもあの真勢さんなぞと違って――妙に捨吉の心を落着かせなかった。