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さくらのみのじゅくするとき

桜の実の熟する時

島崎 藤村

「文章世界」1913(大正2)年1~2月、1914(大正3)年5月~1918(大正7)年6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 111,569 字 · 222 页

青空文庫

第四学年と成ってからは舎監も皆の為るように為せて、強いて寄宿の規則なぞをやかましく言わない。以前はこわい顔をしていた人が心易い笑顔をさえ見せ、友達でも呼ぶような調子で「足立君」とか「菅君」とか呼ぶように成った。

「残り物ですがどうです」

一人の同級生は菓子の袋を割いて舎監の前に置いた。

「それじゃ一つ御馳走に成るかナ」

と舎監は手を揉んだ。

軍人あがりのこの舎監は体操の教師をも兼ねていた。部屋の中央にある机の側に立って、足立達の用う教科書や字書を眺めた目を窓の外へ移し、毎日々々塵埃になって器械体操なぞを教える広い運動場の方を眺めながら、

「秋らしく成ったネ。西南戦争を思出すナ……」

と粗い髭をひねりひねり言った。

捨吉は窓に近く造りつけてある書架の前へ行って立って見た。何気なく足立の蔵書を覗くと、若い明治の代に翻刻されたばかりの「一代女」が入れてある。古い珍本から模刻したというその※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)画のめずらしい元禄風俗や、髪の形や、円味をもった袖や、束髪なぞの流行って来た時世にあって考えると不思議なほど隔絶れている寛濶で悠暢な昔の男女の姿や、それからあの皆なの褒める○○の多い西鶴の文章は捨吉も争って買って来て開けて見たものだ。