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つちのなかからのはなし
桜の森の満開の下
坂口安吾『桜の森の満開の下』。同一底本的分册已合并为一书。收入:土の中からの話、家康、閑山、禅僧、小さな部屋、道鏡。
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 76,558 字 · 153 页
禅僧は蒼白になった。全身がぶるぶるふるえた。洗面器をつかんで投げつけようとする気配が動きかけたほどであったが、黙然と考えこんでしまったのである。然し急に立ち上った。そうして舞台へ歩いて行った。舞台では夫婦の二人が芝居を中止して下の騒ぎを呆気にとられて見ていたのだが、舞台へ片足をかけると禅僧の全身に獣的な殺気が走ったのだった。彼はいきなり芝居の中の夫なる人物を舞台の下へ蹴落した。それからお綱の背中にまわり、お綱を羽掻いじめにしてよろよろとうしろへ倒れ、腰に両足をまきつけてお綱を身動きもさせなかった。
一座はシンと静まったが、禅僧は何事も叫ばなかった。叫ばないも道理、彼のくぼんだ眼玉は死人のように虚しく見開き、口はあんぐりとあけられたまま息も絶えたようであった。暫く経て数名の人が舞台へ上ってみると、禅僧は折れ釘のようなたどたどしさでお綱にまきつけた身体をほぐし、ぼんやり立ちあがると、黙って外へでてしまった。
禅僧はその夜も勿論、べつに自殺するようなことはなかった。翌日はけろりとして今迄通りの生活をつづけていたのだ。こういう姿が獣であるのは他人も無論、彼自らも先刻医者に述べているように知らない筈はなかったのである。