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くすのきのはなし

楠の話

豊島 与志雄

「文章世界 第拾四卷第四號」博文堂、1919(大正8)年4月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,820 字 · 22 页

青空文庫

広い屋敷の隅々までを歩いていると、私の心は全く解放されたのびのびした自由さを感じた。竹藪の中に珍らしい花を見出したり、倉の影に意外な大きい果樹を見出したりした。ただ家跡の広場だけは余り好まなかった。其処は何となく物佗びしかった。そして楠の木影で、長い間、篠竹を切って弓を拵えたりなんかして遊んだ。

その日も私は、父母が心痛していることについては殆んど無関心であった。種々な出来事に対して少しも注意を払わないで、ただ自分一人の気持ちだけを追うのは、私の幼年時代の癖だった。(父母に対して後悔と自責との念を私が後になって覚えたのは、この点についてが最も強かった。)然しその癖のために、晩になって父母から一家の事情を聞かされた時も、私は全く平気だった。

その晩聞いたことを私は今よく覚えていない。また実際それは当時の私には余りに難解なことだった。そして結局私が知ったことは、父が非常な負債を持っていること、都の叔父と村のIとKとが万事を整理しつつあること、元の家を壊して運んだのも債権者の仕業だったこと、などだった。どうしてそういう窮境に立ち至ったかは私には分らなかった。