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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

03 第三部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 167,285 字 · 330 页

青空文庫

「逃げるみちがありますか」

おみやは、ありませんと云って、またかぶりを振り、眼をあげて玄四郎を見た。

「あるかもしれませんけれど、わたくし逃げようとは思いません、兄の云うことが威しではなく、本当にそうするとしても、わたくしは逃げ隠れはしないつもりです」

「しかし、邸をさげられたらどうします」

「さげられたにしても、もう兄の自由にはなりません」

「それで済みますか」と玄四郎が訊いた、「柿崎どののやりかたから考えると、とうていそれでは済まないと思う、それよりも」

こう云いかけて、彼はちょっと口をつぐんだ。いま自分の云おうとする言葉が、彼自身の良心を刺し、僅かではあるが胸が痛んだ。しかし、それはほんの一瞬間のことで、彼は自分の課された任務の重さを思い、眼の前に置かれた機会の誘惑を避けることができなかった。

「それよりも、もう暫く柿崎さんの云うとおりにしていたらどうでしょう、いったい、柿崎さんはどういうことをさぐれと云うのですか」

「殿さまと伊達兵部さまとで、なにか事を企んでいらっしゃるらしいのです」

「伊達家に関係のあることですね」

「よくはわからないのですが、仙台の六十万石を分割して、兵部さまに三十万石を与える、という約束ができ、その証書をお二人とり交わしたもようなのですが、兄はその証書を盗んで来いと云うんです」