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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

03 第三部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 167,285 字 · 330 页

青空文庫

静かな屋内の遠いどこかで、二絃琴の音がとぎれとぎれに聞えた。

「また客があったのだな」

甲斐はそう呟き、寝返りをうって、眼をつむった。

明くる朝の三時すぎ。甲斐と喜兵衛と又之助は、馬に乗って宿を出た。宿を出るときはまだ暗かったが、瑞巌寺のあたりで明けはじめ、高城川を渡るときには日が昇った。かれらはで馬を進め、十時には志田郡の平渡へ着いた。そこで休息して、馬を替え、道を右にとって、出町、阿久戸と、山について北上し、鳴瀬川を渡った大柳で午の食事をした。

大柳は遠田郡であるが、志田郡松山へは二里ばかりしかない。午の弁当を済ましたとき、村山喜兵衛が甲斐を見て、松山へはおいでにならないのか、と訊いた。

「涌谷だ」と甲斐は答えた。

大柳から涌谷までは一望の平野で、刈田や、畠や、荒地の、いちめんにうちわたした中に、鳴瀬川の広い河原だけが、白く乾いて眺められた。平野の中をゆく道の向うに、遠田郡の山なみがあり、やがて、涌谷の町が見えて来た。

甲斐は町はずれから、江合川の堤に出て、大橋を渡った。町人町は川の手前にあり、大橋を渡ると侍屋敷になっていた。侍屋敷は土壁に茅葺きで、黒板塀がまわしてあり、堤に沿って学堂、牢舎、家老屋敷と続いている。