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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

03 第三部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 167,285 字 · 330 页

青空文庫

「もう少しゆっくり飲んだらどうだ、苦しくなるぜ」

「あんたにはまだ、女の本当の気持はわからないのよ」とおみやは続けた、「あたしが証書を盗みだしたのは、惚れている気持がきれいに無くなっちまったからさ、なんだい男のくせに、男で侍のくせにさ、せっかく真人間になろうと思っている女に、よくもそんなことが頼めたもんだ、義理だか忠義だか知らないけれど、あたしみたような女の力を借りなければならないで、それでも男で侍で候と云えるかってんだわ」

「わかった、もうそのくらいでよしにしろ」

「よすもんか、お酒がないじゃないの、新さん」

「それ以上飲むと、苦しくなるぜ」

新八はとめたが、おみやは手を叩いた。横坐りに膝は崩しているが、まだ躯はしゃんとしており、口のききようも歯切れがよかった。茶屋の女が酒を持って来、空いた器物を片づけて去るあいだも、おみやは辛辣な調子で云い続けた。

あの証書を盗みだすのに二年かかった。みつかれば命はない、いっそやめようかと思ったこともある。だがもう意地であった。女の意地からも、盗みだして、あの人に叩きつけてやりたかった。

「本当はあたし、さっきあの人を犬のように這わせてやるつもりだったのよ」