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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

03 第三部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 167,285 字 · 330 页

青空文庫

「だがほかの誰よりも効果はあった、七十郎は家臣でもないのに、家中の者に深く信頼され、好かれている、そのうえ、彼が船岡に心からうちこんでいたことを、知らない者はなかったからな」

甲斐は雪洞のほうを見た。額に深い皺が刻まれ、その口から、かすかに溜息がもれた。

「小野と会ったか」と周防は訊いた。

「いや、面会の申しこみはあるが、まだ会わない」

「三カ条は取ったそうだな」

「そういうことだ、吉岡の罷免も近いし、小野は国老になるだろう」

そう云って甲斐は小窓のほうへ振向き、「明けたようだな」と呟いた。

「ときに、帯刀どのとの縁談のことだが」

と周防が話しを変えた。だが、甲斐は立ちあがって、その話しはまたのことにしよう、と云い、「いるか」と襖の向うへ呼びかけた。

そのとき裏庭で、けたたましい物音と、人の喚く声が聞えた。裏の喚き声は、「くせ者」とか「逃がすな」と云っているように聞えた。

甲斐は周防を見た。周防は首を振って、「大丈夫、決して跟けられはしなかった」と云った。そこへ襖をあけて、おくみが顔を見せた。甲斐はおくみに、「支度が出来たか」と訊き、松山を案内しておいてくれ、と云った。