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ぶけわらじ

武家草鞋

山本 周五郎

「松風の門」操書房、1948(昭和23)年6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 17,835 字 · 35 页

青空文庫

正坐した膝を崩すことがなかった。なにか由ある人に違いない、そう推察していたがそれはかれの思いすごしで、老人は牧野市蔵と呼び、この土地の古い郷士の裔だということがわかった。

――老先生も若いときはずいぶんお暴れなすったものだ。

ときおり耳にはいる村人たちの、そういう話をつなぎつなぎ聞くと、老人は青年の頃ひどく覇気満々で、刀法の修業だといって五年もどこかへでかけたり、帰って来ると杉の木山をはじめたり、また伝馬問屋の株を買って、袋井の宿で暫く筆そろばんを手にしたり、そのほか郷士などには似合わないずいぶん思いきった仕事を数かずやった。こうしてかなりあった家産を蕩尽し、望んで貰った妻にも死なれると、やがて人が変ったようにおちつき、この西の家にひき籠って世捨て人のような生活をはじめたのである。それからは村の外へ出ることもなく、村童に読み書きを教え、蝋燭を作って、孫むすめとふたり平凡な、しかしつつましく安穏な日を送って来たのだという、まことにありふれた、なんの奇もない話だった。

――しかし人間を高めるのは経験のありようではない、経験からなにをまなぶかにある、おそらく老人はそういう平凡な体験のなかから、ひとには得られない多くの深いものをまなんだ、それが現在のあの風格を生んだのに違いない。