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ぬまのほとり
沼のほとり
豊島 与志雄
――近代説話――
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 7,788 字 · 16 页
八重子は駅に戻りました。上り列車はまだ八時すぎのが一つありました。けれど本日分の切符は全く売りきれだということが、切符売場で確かめられました。
駅内の腰掛には、多くの男女が、何を待つのか、ぼんやり坐っていました。子供連れの者もありました。腰掛の上に寝そべってる者もありました。その片端に、八重子は腰を下しました。――一枚の乗車券を手に入れるために、徹夜して長い行列をつくる、そういう時代だったのであります。
八重子は眼をつぶりました。何よりまず梧郎のことが、瞼のなかに浮んできました。軍服がだいぶ身についてきたきりっとした態度、陽やけした顔にのぼる男性的な微笑、それでもやはり、お母さまという幼な時代通りの甘えた語調……。
食物は禁ぜられてるという面会所の隅で、袖屏風をつくって、重箱の中のおはぎをそっと示すと、梧郎は声を立てて喜びました。そして戦友というのを二人連れてきました。砂糖壺の底をはたいて拵えたおはぎの甘さに、三人が舌つづみを打つのは、涙ぐましい光景でありました。
その三人の話では、部隊はまもなく何処か遠くへ移動するらしいとのことでした。戦線は次第に日本周辺へ押し戻されかかっていましたし、九州地方はもう空襲を受けていました。