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ちち

父

太宰 治

「人間」1947(昭和22)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 7,298 字 · 15 页

青空文庫

」

と玄関で女のひとの声がして、私が出て見ると、それは三鷹の或るおでんやの女中であった。

「前田さんが、お見えになっていますけど。」

「あ、そう。」

部屋の出口の壁に吊り下げられている二重廻しに、私はもう手をかけていた。

とっさに、うまい嘘も思いつかず、私は隣室の家の者には一言も、何も言わず、二重廻しを羽織って、それから机の引出しを掻きまわし、お金はあまり無かったので、けさ雑誌社から送られて来たばかりの小為替を三枚、その封筒のまま二重廻しのポケットにねじ込み、外に出た。

外には、上の女の子が立っていた。子供のほうで、間の悪そうな顔をしていた。

「前田さんが? ひとりで?」

私はわざと子供を無視して、おでんやの女中にたずねた。

「ええ。ちょっとでいいから、おめにかかりたいって。」

「そう。」

私たちは子供を残して、いそぎ足で歩いた。

前田さんとは、四十を越えた女性であった。永い事、有楽町の新聞社に勤めていたという。しかし、いまは何をしているのか、私にもわからない。そのひとは、二週間ほど前、年の暮に、そのおでんやに食事をしに来て、その時、私は、年少の友人ふたりを相手に泥酔していて、ふとその女のひとに話しかけ、私たちの席に参加してもらって、私はそのひとと握手をした、それだけの附合いしか無かったのであるが、