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たはらしのはんざい
田原氏の犯罪
豊島 与志雄
「黒潮」1917(大正6)年8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 27,957 字 · 57 页
家政の余裕と店の地盤の強固とは、彼を多く閑散な地位に置いていたのである。
家は本郷の西片町の高台の外れに在ったので、窓を開け放すと、植物園一帯の高地がすぐ眼の前に展開せられた。その右方に白山の森があり、左方に離れて砲兵工廠の煙筒が聳えていた。田原さんは、或はその静かな森を顧み、或はその渦巻く煤煙を眺めた。そしてその上に、何時も高く拡がっている大空があった。風の日も雨の日もまた晴れた日も、それらの景色は変らなかった。
でそれらの土地の起伏や、その上に立ち並んだ人家や、森や、煤煙や、大空や、それらのものを一望のうちにじっと見守っている田原さんの心には、いつも同じような穏かな広やかなものが残された。都会も之を鳥瞰すれば、そして安定な心で鳥瞰すれば、それは一の静かな自然であった。
然し乍ら田原さんは何かしら退屈して居た。退屈は悪い感情である。田原さんもそれを知っていた。で彼は窓の所に立って行って、立ち竝んだ人家の一つ一つに眼を定めてみた。洗濯物の物干台に動いている所もあった。二階の軒先に植木鉢が竝べてある所もあった。枯れかかって黒ずんでいる樹木もあった。