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しろが

白蛾

豊島 与志雄

――近代説話――

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,700 字 · 22 页

青空文庫

そういう様子も見えませんでした。岸本は自分の感情の持ちように迷いました。それでも、一方、彼女のその平然さに、彼は一種の安心をも覚えました。

彼は速度を早めて酒を飲みました。ウイスキーも飲みました。彼女も彼から勧められるまま、酒を飲みました。女としては相当の酒量らしいようでした。

庭には蝉が鳴いていました。昔、お千代さんの室でも蝉が鳴きました。夜中なのに、室にとびこんできた一匹のつくつく法師が、電灯の笠の上方のコードに逆様にとまって、大きな声で鳴きました。お千代さんは冗談話をやめて、その蝉を見上げました。お千代さんがまた話をしだすと、蝉がまた鳴きだしました。彼は今も、お千代さんの話は少しも覚えていませんが、蝉の声ははっきり覚えていますし、その小柄な体の透き通った翅までよく覚えています。あの時彼は、蝉を捕えて外に助けましたが、その機会に、お千代さんから遁れるようにして、酔った勢いで闇夜を走って家に帰りました。

その時のことが、事実だったのか夢だったのか、分らない気持ちに岸本はなりました。酒の酔いはまだ浅いのに、気持ちだけはなにか夢幻的に深まってゆきました。