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しほんたいへいき

私本太平記

吉川 英治

03 みなかみ帖

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 126,598 字 · 254 页

青空文庫

――葛原ヶ岡の草の小道から西の方へ、とぼとぼ歩きかけていた。

すると。

どこにいた人か、その影を追っかけて、

「助光。――助光っ」

と、二度ほど呼びかける声がした。たしかに、助光もそれを耳にして、キッと振り返ったようであったが、なに思ったか、彼はとっさに足を早めて、鹿のごとくその姿をどこかへ消してしまった。

「……?」

むなしく夕月の果てを見送って、草の小道をもとの方へもどって来た人は、銀杏形の忍び笠の上から、さらに頬かぶりの布を顎の下でむすび、どこかの郷士らしい風采に見えるが、それは高氏の微行の姿だった。

やがてその高氏も、雨のような虫の音の中で、土饅頭へ黙拝していた。それから、人間さまざまな運命やら時局の急にたいして、何かを思いつめてでもいるように、仮粧坂の暗がりを、ゆっくり降りて行くのだった。

ところが、彼の行くあとから、またひとり、ひたひた尾けて行く者があった。影と形のようにである。

坂を降りると、高氏は小さい寺の門へ入った。馬を預けておいたものらしい。やがて自身、馬を曳いて、寺の横道から乗って出て来た。そして、そのときはもう笠も頬かぶりも脱って、つねの武者烏帽子になっていた。