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はこねのやま

箱根の山

田中 英光

「文藝春秋 別冊2」1946(昭和21)年5月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 16,963 字 · 33 页

青空文庫

山々の上には星が同じような静けさで光り、私は身体の凍るような一種の恐怖を感じた。

しかし今、一郎が感じているのは山への恐怖ではない。むしろ陽のさんさんと輝く黄色い山への幼い憧れであり、驚喜だった。彼が成長の後、自然科学へ赴くか、人文科学へ赴くか、何れの方面に向うにせよ、彼にとって大切な思い出になると思えば、私は甚だ嬉しい勇みたった気持だった。前日、湖尻や元箱根で食物にありついているし、その日もどこかで代用食ぐらいはありつけるだろうと、相変らずのんびりした料簡で、子供の手を引き、箱根街道を登って行った。

初めに眼につくのは、広重や北斎の描いたような樹齢数百年と思われる松の古木が、点々と巨竜の蟠る恰好で、蒼空に聳えている風景だった。しかしその松も直ぐ斑らになり、松の間には金持の別荘らしい洋風の邸や、半商半農らしい土地の者の藁葺家が雑然と続いているだけで、山らしい風情もなにもなかったから、その路に直ぐ倦々したらしい、一郎が、「お父さん山に登ろうよ。お山に登るんだネ」、「今からして歩いている路もお山なんだよ」、「違うよ、お山じゃない、路じゃないか」、「だからさ、そのお山のお腹についている道なんだよ、ほら、あれを御覧」