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なおこ
菜穂子
堀 辰雄
楡の家 第一部「物語の女」山本書店、1934(昭和9)年11月<br> 楡の家 第二部「文学界」1941(昭和16)年9月号<br> 菜穂子「中央公論」1941(昭和16)年3月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 88,758 字 · 173 页
――森林の多い国境辺を汽車が嵐を衝いて疾走している間、圭介はそう云う考えに浸り切りになって殆ど目もつぶった儘にしていた。ときおり外の嵐に気がつくようにはっとなって目をひらいたが、しかし心が疲れているので、おのずから目がふさがり、すぐまた夢うつつの境に入って行くのだった。そこでは又、現在の感覚と、現在思い出しつつある感覚とが絡まり合って、自分が二重に感ぜられていた。いま一心に窓外を見ようとしながら何も見えないので空を見つめているだけの自分自身の眼つきが、きのう山へ著くなり或半開の扉のかげからふと目を合わせてしまった瀕死の患者の無気味な眼つきに感ぜられたり、或はいつも自分がそれから顔をそらせずにはいられない菜穂子の空けたような眼ざしに似て行くような気がしたり、或はその三つの眼ざしが変に交錯し合ったりした。……
急に窓のそとが明るくなり出した事が、そう云う彼をも幾分ほっとさせた。曇った硝子を指で拭いて外を見ると、汽車が漸っと国境辺の山地を通り過ぎて、大きな盆地の真ん中へ出て来たためらしかった。風雨はいまだに弱まらないでいた。圭介の空け切った眼には、そこら一帯の葡萄畑の間に五六人ずつ蓑をつけた人達が立って何やら喚き合っているような光景がいかにも異様に映った。