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なおこ
菜穂子
堀 辰雄
楡の家 第一部「物語の女」山本書店、1934(昭和9)年11月<br> 楡の家 第二部「文学界」1941(昭和16)年9月号<br> 菜穂子「中央公論」1941(昭和16)年3月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 88,758 字 · 173 页
圭介にとっては、そういう妻の癖のある眼つきこそあれほど孤独の日々に空しく求めていたものだったのだ。が、今、それをこうしてまともに受け取ると、彼は持前の弱気から思わずそれから眼を外らせずにはいられなかった。
「母さんは病気なんだ。」圭介は彼女から眼を外らせた儘、はき出すように云った。「面倒な事は御免だよ。」
「そうね。私が悪かったわ。」菜穂子は自分が何か思い違いをしていた事に気がつきでもしたように、深い溜息をついた。そして思いのほか素直に云った。
「私、これからすぐ帰るわ。……」
「すぐ帰るったって、こんな雪で帰れるものか。何処かへ一晩泊ることにして、あした帰るようにしたらどうだ?――しかし、大森の家じゃ困るな。母さんの手前。……」
圭介は一人でやきもきしながら、何かしきりに考えていた。彼は急に顔を上げて、声を低くして云い出した。
「ホテルなんぞへ一人で泊るのは嫌か。麻布に小さな気持ちの好いホテルがあるが……」
菜穂子は熱心に夫の顔へ自分の顔を近づけていたが、それを聞き終わると急に顔を遠退けて、
「私はどうでもいいわ……」といかにも気がなさそうな返事をした。