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なおこ

菜穂子

堀 辰雄

楡の家 第一部「物語の女」山本書店、1934(昭和9)年11月<br> 楡の家 第二部「文学界」1941(昭和16)年9月号<br> 菜穂子「中央公論」1941(昭和16)年3月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 88,758 字 · 173 页

青空文庫

此の手帳さえなければ、そんな私はこの地上から永久に姿を消してしまう。そうだ、こんなものは一思いに焼いてしまうほかはない。本当にいますぐにも焼いてしまおう。……

それが夕方の散歩から帰って来たときからの私の決心だったのだ。それだのに、私は爺やが其処を立ち去った後も、ちょっとその機会を失ってしまったかのように、その手帳をぼんやりと手にしたまま火の中へ投ぜずにいた。私には既に反省が来ていた。私達のような女は、そうしようと思った瞬間なら自分達にできそうもない事でもしでかし、それをした理由だってあとからいくらでも考え出せるが、自分がこれからしようとしている事を考え出したら最後、もうすべての事が逡巡われてくる。そのときも、私はいざこれから此の手帳を火に投じようとしかけた時、ふいともう一度それを読み返して、それが長いこと私を苦しめていた正体を現在のこのような醒めた心で確かめてからでも遅くはあるまいと考えた。しかし、私はそうは思ったものの、そのときの気分ではそれをどうしても読み返してみる気にはなれなかった。そうして私はそれをその儘、マントル・ピイスの上に置いておいた。