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しじみだに
蜆谷
山本 周五郎
「新読物」公友社 、1947(昭和22)年3月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 13,957 字 · 28 页
四
そう云いながら振り返った娘は、そこにいるのがげん女でないのを知って息をひいた、「まあ、……まあ弥之さん」
「弥之助だよ、お八重ちゃん、帰って来た」
「あにさんは」八重はじりじりと後ろへ身をひきながら、恐怖にうたれた人のように声をふるわせた、「そして、あ、あにさんは」
「上へあがりな、いま炉の火をつくるから」
四
朝の光が煤けた障子を寒ざむと染めだした。それで炉の火の乏しさがいっそうきわだったようにみえる、弥之助は関ヶ原の話をしていた、又二郎がどんな風に討死したかということを。……もうお八重は泣いてはいなかった。げん女が息子の生きていることを信じたように、彼女は兄が死んだものとあきらめる習慣がついていたのだ。
母が釜戸へ立っていた、弥之助はお八重の衿足につよく眼をひかれた、二年のあいだにすっかり娘らしくなっている、そういう艱難な生活にいためられながら、若い命はいささかのためらいもなく、みずみずとその蕾をふくらめている、髪もつやつやとしてきた、うるみをおびた眼つき、鮮やかに赤く湿った唇、ちょっと手をふれても紅くなる豊かな頬、韻の深くなった声にまで、聞く者の心をそそるような一種の響きがあった。