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かぎ
鍵
谷崎 潤一郎
「中央公論」中央公論社、1956(昭和31)年1月、5月~12月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 102,182 字 · 200 页
………
………私が気にかかっていたことというのは、昨日病人が「お前は日記をどうしている」と云った、あの言葉なのである。私が日記をつけていることを、表向きは知らない体を装っていたはずの夫が、どうして突然あんなことを云い出したのか。頭が混乱していたために知らないはずになっていたことをウッカリ忘れたのであろうか。それとも、「もう僕は知らないふりをする必要を認めなくなった」と云うのであろうか。私が咄嗟の返辞に困って、「日記なんか附けていない」と答えると、「分ったよ」と云って変な笑い方をしたのは、「空惚けるのは止せ」という意味だったのであろうか。―――何にしても、夫は彼の発病以後も私が日記を附けることを継続しつつあるかどうか、それを知りたいのに違いなく、継続しているのなら、何とかしてそれを読ませて貰いたいのに違いあるまい。盗み読みができなくなった彼としては、おおびらに私の許可を求めたい下心があったためにあんな言葉を洩らしたのだと、私は推測せざるを得ない。とすると、彼から公然とそういう申し出があった場合のことを、早速考えておかねばならない。この正月から四月十六日に至るまでの私の日記は、もし求められれば、私はいつでも彼の前に取り出して見せるであろう。