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いんじゅう
陰獣
江戸川 乱歩
「新青年」博文館、1928(昭和3)年8月増刊~10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 66,968 字 · 131 页
かく検して来ますと、我々が今迄犯人と信じ切っていた大江春泥こと平田一郎は、意外にも、最初からこの事件に存在しなかったと考える外はありません。我々をして左様に信じさせたものは、小山田六郎氏の驚嘆すべき偽瞞であったとしか考えられないのであります。金満紳士小山田氏が、かくの如き綿密陰険なる稚気の所有者であったことは、彼が表に温厚篤実を装いながら、その寝室に於ては、世にも恐るべき悪魔と形相を変じ、可憐なる静子夫人を外国製乗馬鞭を以て、打擲し続けていたことと共に、我々の誠に意外とする所でありますけれど、温厚なる君子と、陰険なる悪魔とが、一人物の心中に同居したためしは、世にその例が乏しくないのであります。人は、彼が温厚でありお人好しであればある程、却って悪魔に弟子入りし易いとも云えるのでありますまいか。
さて、私は斯様に考えるのであります。小山田六郎氏は今より約四年以前、社用を帯びて欧洲に旅行をし、ロンドンを主として、其他二三の都市に二年間滞在していたのですが、彼の悪癖は、恐らくそれらの都市の何れかに於て芽生え、発育したものでありましょう。(私は碌々商会の社員から、彼のロンドンでの情事の噂を洩れ聞いて居ります)そして、一昨年九月、帰朝と共に、彼の治し難い悪癖は彼の溺愛する静子夫人を対象として、猛威をたくましくし始めた