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きりのばんしゃ

霧の蕃社

中村 地平

「文学界」1939(昭和14)年12月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 28,389 字 · 57 页

青空文庫

そして、そのことはまた娯楽の少い植民地生活の一つの社交的な楽しみにもなっているのであるが、そういう時も近藤巡査はいつも独りである。蕃人の妻を連れてゆくことは仲間に対してどうしても気がひけるのである。

そんな時、近藤巡査は座敷ですすめられた酒のためにまっ赤になった顔を、ちょっとした用のために台所へ現すことがある。すると、そこで賑やかにたちまわっている同僚の妻君たちが、挨拶がわりの声をかける。

「きょうは行らっしゃらないのね……お宅の奥さんは」

勿論質問には深い意味があるわけではない。ただなに気なく訊ねてみたまでの話である。しかし、近藤にしてみれば、その言葉はふかい意味をもって響いてくる。

まるでぷんぷん匂いでも放ちそうな晴れ着に色気のある襷をかけ、浮き浮きと弾んで美しく見える内地女の顔を近藤は羨しそうに呆んやりと眺め、それからふっと気がついたように胸のなかでつぶやくのである。

「蕃人を女房にもっているばかりに、世間の義理まで欠かなくちゃならん」

憤りに似たものが胸の底からつきあげてき、酒はとっくに醒めている。妻をつきのめし、どこか遠くへ逃げている自分の姿を、そういう時いつの間にか彼は想像しているのである。