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きりのばんしゃ
霧の蕃社
中村 地平
「文学界」1939(昭和14)年12月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 28,389 字 · 57 页
しかし、大柄な体を畳の上に窮屈そうに坐らせ、無器用な手で自分の着物をつくろったり、台所でいそいそと馴れない煮たきに心をくばっている哀れな妻の姿が眼に入ると、近藤にはまた別な感情が湧いてくる。頭のなかで四六時ちゅういじめつけている妻が可哀相でたまらなくなってくるのである。彼は思い返しでもするように、自分に言って聞かせる。
「この気の毒で、善良な妻をすてることはできない」
それに、いったん結婚した蕃婦を離婚する、ということは、理蕃上非常にわるい影響を残す。他の誰か、一般内地人にそういう不埒があった場合は、彼は自ら取締らなければならない地位に居るのである。
このまま結婚をつづけてゆく気もちもない代りに、妻を捨てる勇気もない。どうすればいいかわからなくなってくるのである。
「自動車に轢かれるか、急病にかかって妻が死んでくれれば……」
とんでもない想像が湧く時もある。しかし、そういう時小心な彼は心の秘密を誰かに覗き見でもされはしないか、という風にすぐに慌てて思い直すのが常である。
「いや、いや、妻を死なすわけにはゆかない。あいつにはなんの罪もないのだ」
悔恨に溢れることばかりの自分たちの結婚が、近藤には今更のように思い返されてき、眼頭はひとりでに濡れてくる。