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きりのばんしゃ
霧の蕃社
中村 地平
「文学界」1939(昭和14)年12月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 28,389 字 · 57 页
たちまち警察隊によって追跡されたが、深い暗い密林のなかに隠れひそんで、巧みに逮捕を免れた。間もなくほとぼりが醒めた、と思われる頃、彼はふたたび自分の家に舞いもどってきた。警察隊は蕃屋のなかに踏みこもうとするが、蕃刀をふりかぶって彼は相手を近づけない。やむなく、警察隊は蕃屋を包囲して持久戦の体勢をとった。
ヒポアリスの父は観念してしまった。囲みをやぶって脱出することは、どうしてもできないのである。彼は蕃屋の内部に自ら火をつけた。木と茅とでできた粗末な小舎にはたちまち火がまわり、建物全体が一個の炎と化してしまった。そして、彼自身は勿論のこと、妻も子供もそのなかで無惨に焼け死んでしまった。
その頃、当のヒポアリスはまだ十歳であった。父が壮烈な自殺を遂げた時は、ちょうど隣家に遊びに行っていた。そのために危く不幸な死を逃れることができた。しかし、自分の家が焼け落ちる音と、恐ろしい父や母の最後の叫び声をはっきりと隣家で耳にした。また骨になった兄や姉やの無惨な姿を眼の辺りに眺めもした。それは幼い心にも異常な印象であった。その印象は大きな火傷のようにいつまでも胸に残った。