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ぎょげんき

魚玄機

森 鴎外

「中央公論」1915(大正4)年7月

N1 · 挑战 · 新字新假名 · 9,866 字 · 20 页

青空文庫

魚玄機が人を殺して獄に下った。風説は忽ち長安人士の間に流伝せられて、一人として事の意表に出でたのに驚かぬものはなかった。

唐の代には道教が盛であった。それは道士等が王室の李姓であるのを奇貨として、老子を先祖だと言い做し、老君に仕うること宗廟に仕うるが如くならしめたためである。天宝以来西の京の長安には太清宮があり、東の京の洛陽には太微宮があった。その外都会ごとに紫極宮があって、どこでも日を定めて厳かな祭が行われるのであった。長安には太清宮の下に許多の楼観がある。道教に観があるのは、仏教に寺があるのと同じ事で、寺には僧侶が居り、観には道士が居る。その観の一つを咸宜観と云って女道士魚玄機はそこに住んでいたのである。

玄機は久しく美人を以て聞えていた。趙痩と云わむよりは、むしろ楊肥と云うべき女である。それが女道士になっているから、脂粉の顔色をすを嫌っていたかと云うと、そうではない。平生粧を凝し容を冶っていたのである。獄に下った時は懿宗の咸通九年で、玄機は恰も二十六歳になっていた。

玄機が長安人士の間に知られていたのは、独り美人として知られていたのみではない。